お万の方
JR外房線勝浦駅より徒歩約25分。太平洋の眺望がすばらしい八幡岬公園にその銅像が建っています。 お万の方は1580年~1653年、徳川家康の側室でした。 家康公との間に紀伊家の祖、頼宣(1602)・頼房(1603)を生み、水戸黄門で知られる光圀はお万の孫にあたります。 |
お万の方の由来
徳川家康の側室お万の方は、天正5年(1577)勝浦城主正木頼忠の子として生まれました。幼名を養珠といい、父母の慈愛を一身に受けて育ちました。 |
|
北条氏が滅ぼされると、その支配下にあった勝浦城も家康の派遣軍に攻められ落城。14歳のお万の方は、母と一緒に40メートルもある八幡岬の断崖に白い布をたらして海にのがれました。 |
|
一行は、母方の縁者が住む伊豆に身を隠しました。流浪の旅の行く先々では、お万の美しさとかしこさは、村人たちの目をみはらせました。その後縁あって、お万の方は家康に見染められ、側室となり二子をもうけました。 |
|
一人は後に紀伊家を創設、もう一人の徳千代は水戸家の祖徳川頼房となりました。水戸黄門で知られる光圀はお万の孫にあたります。その信念と信仰心などは、お万の方の教えによるものと言われています。 |
タイトル画 : 本宮ひろ志
画協力 : 本宮企画・小松D室
本ページ掲載内容の無断使用・転載等一切禁止いたします。