官軍塚
JR外房線勝浦駅から徒歩約20分。太平洋を望む高台にあります。毎年初日の出をここで迎える人も多くいます。 戊辰の役で旧幕府軍の鎮圧に向かう熊本藩船が市内川津沖で難破し、130名の犠牲者が出てしまいました。その犠牲者を埋葬供養したのが官軍塚です。 |
官軍塚の由来
明治2年、まだ新しい政府に反抗して、榎本武揚の軍勢は函館の五稜廊にたてこもり、戦いを挑んでおりました。この鎮圧を命じられたのが熊本の細川勢であったのです。 |
|
350余名の兵士は横浜で米国汽船をやとい、1月2日に品川港を出発しましたが、不運なことに翌日の夜、勝浦川津沖の岩礁で難破してしまいました。 |
|
漁民たちは男も女も浜に集まり、身を切るような寒さと波しぶきの中で、命がけで救助に努めました。その甲斐あって、150余名の兵士の命をとりとめましたが、それ以上の犠牲者が出てしまったのです。 |
|
浜の人たちは、見も知らぬ人々とはいえ、遠く離れた熊本からやってきて犠牲となった兵士たちを深くあわれに思い、「官軍塚」をつくり、心から冥福を祈ったのでした。 |
タイトル画 : 本宮ひろ志
画協力 : 本宮企画・小松D室
本ページ掲載内容の無断使用・転載等一切禁止いたします。